自タヒについての僕の考え
どーもぺったんです。
今日は自タヒについての考えを書いていく。
内容的に重いから閲覧注意だし、あんま宣伝しないように配慮する。
なんで自己責任で。
とりあえずやっていこー!
経緯
まずはこの記事を書き始めた経緯。
2023/4/14に自タヒ配信があったらしいんだよね。
まぁリンクとかは貼らないけど、多分調べれば色々出てくると思う。
この内容を配信するのはどうなんだって感じで議論になってたりするような感じっぽい。
この配信の是非についてはノーコメントで。詳しく知らんし。
まぁ若気の至りでやったか心中かなーとは思うけどね。詳しい事件の経緯はわからんからそれ以上は発言を控える。
タヒについての僕の考え
それじゃあ本題のタヒについて考えていく。
世間的には絶対にダメ、なんとしてでも生きろみたいな感じだけど、僕はタヒも自由だと思ってる。
陰謀論じゃないけど、政府とかにしてみればタヒなれちゃ困るからね。
人口が減るわけだからね。あと本能的に生きたいって欲望があるわけだからそれに抗うと否定的にも見られるしね。
僕は、政府は「国の発展のために生きてくれ」って考えてると思ってる。
そもそも生きるって権利じゃん。権利ってことは放棄することもできる。生きる権利を放棄するってことは自タヒするってことだよね。自タヒがダメなら、生きるって義務になってると思う。
だから自タヒ肯定派っていうか、別にいいんじゃねとは思ってる。
そもそも生きる意味ってなんさ
よく「人生まだまだいいことあるよ」とかって言うけど、だからなんだよって思う。
どんだけ楽しんでも、苦しんでも、最終的にはタヒぬやん。だから意味ってない気がする。社会的には活躍したりすれば意味はあるんだろうけど、個人で見てみれば生きることにはなんの意味もないと思うんだよね。
タヒは最強の逃げ道
僕はこう思ってる。いじめられてたりしてどうしようもないから逃げるために自タヒするってのは最強だと思う。
問答無用でその問題は解決するからね。だから僕はやばくなったらそうやって逃げるかもしれない。
まとめ
僕は一貫して自タヒはOK派ってのはわかったと思う。
特に生きる意味もないなら好き勝手本能の赴くまま動こうと思うし、そのせいでヤバくなったら逃げるっていうのが僕の生き方なのかな~って思ったりする。
まぁまだ多感な時期ってのもあるから変わるかもしれんが。
重い内容になってすまんね。次は普通の話題にすると思うから...
じゃあね~!